書評:佐藤さとる「だれも知らない小さな国」その一
 知らない人はいないであろう、コロボックルの国の物語である。

 一般的なジャンル分けを行うならば、ジュヴナイル(Juvenile:少年少女向け)な本である。話はとても分かりやすい。少年の時分に、コロボックル(親指ほどの小さな人)とニアミスした主人公。後に、彼らと再会を果たし、折りしも理解ある人間と接近したがっていたコロボックルたちは、主人公を認める。そして、「味方」としての主人公たち人間と、コロボックルたちが心を通わせて、だれも知らない小さな国を創るというお話である。

 ところがどっこいなのだ。読んだことがある人、たくさんいらっしゃるであろうこの話。実は、細部に渡って、仕掛けというか示唆が込められている物語なのである。
 
 先ほど、簡単に「彼らと再会を果たし」と書き流したが、再会を果たしたのは、主人公が暗い戦争(第二次大戦)を生き残った後であるのだ。彼は、昔馴染みの地を再訪する。そのときの描写。

>その日は、すばらしい秋びよりだった。
>(中略)。ぼくのもちの木は、番兵のように、二本ともしっかりと立っていた。
>(中略)。「やあ。」と思わず声をかけてしまった。

 なんともたくましい生命力を暗示させる描写ではなかろうか?
 また、次の文章。

>(子どもの頃にみかけた「黒いかげ」を再びみかけて)
>ぼくは、からだがふるえるような気がした。
>こいつはおもしろくなってきたぞ。こいつはおもしろくなってきたぞ。こいつは・・・・・・。

 淡々と読者に語りかける口調。繰り返すがジュヴナイルである。ジュヴナイルである故に、再生可能となった言葉なのだ。「ぼくは、からだがふるえるような気がした」で、「僕は、体が震えるような気がした」ではないのだ。
 私は、なんどとなく本書を読み返すが、この言葉の連なり(文体とは意味合いが違う)を通奏低音として感じるだけで、大人口調で述べるなら、胸がゾワゾワと豊かな緊張感で身が引き締まるのである(なんたる駄文であろう・・・)

 本書には、まだまだ仕掛けが施されており、現代社会に生きる「大人」に新たな視座を与える物語として、21世紀においても躍動し続けているのである。

(続く)

p.s.
本当は、一回限りで端的にまとめよう、
と思っていたのですが、本書をパラパラめくるだけで、
書きたいのである!という思いが出てきてしまって、続きます。

p.s.
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by keroyaning | 2005-05-12 20:59 | 書評
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